【死者が語る物語】幽霊の文化と歴史 | スピリチュアル

死者が語る物語 幽霊の文化と歴史

はじめに

スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。

幽霊や霊的な存在は、世界中の多くの文化で触れられています。

なぜ多くの人々が幽霊を信じ、恐れ、興味を持っているのでしょうか?

以前スピリチュアルにおける幽霊の概念については解説したのですが、改めて起源や人々の心にどのように影響を与えているのかを探ります。

幽霊の起源と古代の考え

古代エジプトの死の考え方

古代エジプトの人々は、死を単なる終わりとは捉えておらず、死後も魂は永遠に存在し続けると考えていました。

「カ」と「バ」から「アフ」という統合へ

エジプトの死生観において、人は死ぬと「カ」と「バ」という二つの魂に分かれると信じられていました。「カ」は生命のエネルギーや人格を、一方「バ」は個人の特性や意識を象徴していました。死後、これらの魂は毎日夜と昼を繰り返して墓と天国の間を移動し、最終的には「アフ」という完全な形で再統合されることを目指していました。

ミイラ作りも、この信仰から生まれていたようです。死者の体を保存することで魂が安全に冥界を旅する手助けをすると考え、「カ」が再び体を訪れる際に”適切な器”として用意していました。

ミイラ作り 壁画

ギリシャ・ローマにおける死の考え方

ギリシャやローマの神話には、死者の魂や霊的な存在がいたるところに登場します。これらの文化において死とは、終わりではなく、新しい段階、新しい旅の始まりと捉えられていました。

ギリシャ神話は冥界の神ハデスの世界

ギリシャ神話においては、冥界と呼ばれる死後の世界が存在し、冥府の神ハデスがその領域を支配しています。死者の魂は、冥界の川ステュクスを渡し、裁判を受け、永遠の報いを受けるとされていました。

冥府の神 ハデス神

多くの英雄や神々の神話の中には、冥界を訪れるエピソードが含まれており、冥界の風景や死者の魂との交流が描かれています。オデュッセウスやヘラクレスなど、多くの英雄がその冒険の中で冥界を訪れています。

ローマは「レムリア祭」で霊を静める

ギリシャの伝統を受け継ぎつつ、お盆のような概念があったようです。

家族の先祖の魂や神霊(ラレースやペナーテースという存在)を大切に崇拝し、家の中に祭壇を持ち、日常的にこれらの霊への供物を捧げる習慣がありました。

また、ローマには毎年2月の「レムリア」という祭りがあり、この時期には死者の霊が現れるとされ、家の中で特定の儀式を行って霊を鎮める伝統がありました。

中国・日本の死の考え方

死者の魂や霊が死後の世界と我々の世界との間で存在し、連絡を取り合っているという信仰が深く根付いています。

中国

中国の死生観においては、「冥界」や「黄泉の国」といった死後の世界が存在するとされています。死者は、家族によって供えられるさまざまな供物や祭りを通じて、生者と連絡を取り合っています。特に「清明節」は、墓参りをして先祖を敬う重要な祭日です。

また、道教や仏教の影響も見られ、死後の魂の浄化や転生といった概念が存在します。

日本

日本の信仰においても、死者の霊や魂が別の世界で存在し、特定の時期や場所で生者と接触するという考えがあります。例として「お盆」が挙げられます。お盆は、先祖の霊が一時的にこの世に戻ってくるとされる時期であり、家族は故人のために供え物をしたり、墓参りをしたりします。

また、日本の神話や物語には、霊や亡霊、そしてそれらの存在と人々との関わりを描いたものが数多くあります。

中世から近世のヨーロッパにおける幽霊

中世のヨーロッパにおける幽霊

中世ヨーロッパの社会はキリスト教の影響下にあったことから、幽霊や霊魂は「死後の魂の状態」として強く認識されていました。

このため、中世のキリスト教では、死者の魂は天国、地獄、あるいは煉獄へと送られると信じられていて、特に煉獄は、魂が罪を浄化するための中間の場所とされ、多くの幽霊の話や伝説がこの概念と結びついています。

近世のヨーロッパにおける幽霊

近世に入ると、科学的・合理的な思考が進展し、宗教的な解釈だけでなく、幽霊や超自然的な現象に対する興味が高まります。

しかし、宗教的な影響はまだ強く、魔女裁判や悪魔の存在を恐れる風潮が広がった時期でもありました。この時代には、幽霊や霊的現象を目撃したとする証言や記録が多く残されています。

魔女裁判や魔女狩りについては別のブログで解説していますので合わせてお読みください。

また、この時代には初期の心霊研究の動きも見られ、幽霊や霊的な現象を科学的に解明しようとする試みが始まっていたようです。

近代的な幽霊観の変遷

19世紀の科学的進歩の中で、幽霊や心霊現象への興味が再燃して幽霊写真が流行したスピリチュアルブームが起こりました。

科学と幽霊との関係は、懐疑的な視点からも、探究する価値があるとも考えられ、現在のスピリチュアルにおける霊の概念がこの辺りで作られたと考えることができます。

セアンス(séance)というチャネリングが流行

19世紀には、霊とコンタクトを取るためのセッション「セアンス」が流行しました。

セアンスは、霊媒師と呼ばれる特定の能力を持った人物が主導し、参加者たちと一緒に円を描くように座り、集中した状態で霊的な存在とのコンタクトを試みます。この際、テーブルが動いたり、未知の声が聞こえたり、物が浮かんだりという現象が起こったそうです。

日本の幽霊文化

日本の幽霊文化は古くからの信仰や生活様式、独自の世界観が融合したものとして形成されていて、調べれば調べるほど根が深いものでした。

この根の深さが心霊現象等の霊に関する恐怖感に繋がるものであると考えることができます。

神道の影響

神道は日本の原始宗教として、自然や存在物すべてに神が宿るという信仰を基盤としています。この観念は、死者の魂もまた特定の場所や物に宿るという考え方へとつながりました。神社や墓地、特定の自然物が霊的なパワースポットとして信仰の対象となるのは、この神道の影響が大きいです。

仏教の影響

仏教が日本に伝わると、再生や輪廻転生の考えが導入されました。死後の世界や霊魂の在り方についての認識が深まり、幽霊や亡霊といった存在が人々の間で広まったのは、仏教の教えが背景にあります。

民間伝承

日本各地には様々な幽霊や妖怪に関する伝説や話があります。これらは地域ごとの歴史や自然環境、生活様式などから生まれたもので、幽霊の姿や性格、背景にも地域性が見られます。

幽霊と人間の創造力

歴史から見ても幽霊を信じる心理的背景には、死後の世界への好奇心や、亡くなった人々とのつながりを感じたいという人間の創造力が働いているということがわかります。

創造力が生み出す霊の存在については過去のブログでも説明しているので合わせてお読みください。

おわりに

それぞれの歴史を調べると幽霊の概念は多様で、それぞれの文化や時代によって異なっていて、どれかを尊重すれば、どれかで矛盾を感じるというものでした。

これらのつじつまを合わせた結果、”人間の創造力によって生み出されている”という私が提唱している考え方になっていき、この魂の概念にたどり着きます。

これからも、科学や技術が進歩する中で、新たな幽霊の概念が生まれ、私たちに影響を与え続けると思いますが、恐ろしい存在とせず、私たちをサポートする存在であると創造することをお勧めします。