スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
今回は人間の死後について解説します。
生き物が死んでしまった後どうなるのでしょう?
この疑問は2011年の震災があった日からずっと頭の片隅にあるような気がします。
もしかしたら、それ以前かもしれません。
近しい人が亡くなったときにも同じ様に考えたような気がするからです。
チャネラーになってからも、この疑問に関して多くの存在からヒントを受け取ってきました。
今回はスピリチュアルな観点から「生き物の死後」についてお伝えします。
輪廻転生を受け入れる
チャネリングして色々なことを知ると「輪廻転生」という概念を受け入れないと、つじつまが合わないことが出てきます。
それは、過去世や未来世の存在、自分の今生の目的を知る存在などの「私の魂と繋がりのある(関わりのある)存在」が、『私のチャネリング先』にいることです。
魂が一度きりで死んだとき全てがリセットされ続けるのであるならば、過去にも未来にも私との繋がりがある存在は出てくることはないはず。
しかし、私はつながりのある存在たちをたくさん知っています。ですから「輪廻転生」があり、「魂は生き続ける」という捉え方をしていくのが自然だと私は解釈しています。
魂が帰る場所はグループソウル
輪廻転生の中、今生の肉体が役目を果たすと、肉体の中にある魂(精神やエネルギーとも呼びます)は抜けて出ていきます。
では、その抜け出た魂はどこに行くのでしょうか?
「行く」というよりも「帰る」や「戻る」という表現の方が良いかもしれません。
魂は「グループソウル」に帰ります。
グループソウルにはたくさんの魂があり、地球で肉体を持っている魂の様子をうかがい、必要な時に必要なサポートを行っています。
このように考えるとグループソウルが本拠地で地球が出張先と言えます。
人間は辛く、グループソウルは楽?
肉体を持つ人間目線で見ると「転生して地球で過ごすよりもグループソウルでサポート側にいた方が楽なのでは?」と感じる方も多いと思います。
実際、私の周りでも「今生で人間に転生するのは最後にしたい!!」と半ば懇願しているような声を聞いたことがあります。
しかし、どちらが楽なのでしょうか?
私はここに答えを見出せません。
どちらも楽と言えば楽ですし、苦と言えば苦であるからです。
私がいま人間であるために「人間目線での例え話」となりますが、運転手が人間で、助手がグループソウルの関係で考えると
・運転手は周囲の看板(情報)を頼りに自分の目的地だと思う場所に向かわなければならない。
・目的地は助手の人だけが知っているが、そこまでの道案内をしてはならない。※ただし例外を除く
グループソウルは一生懸命にあっちこっちを見て運転している人をただただ見守ることしかできません。
目的地を知っているのに伝えられないという状況・・・楽そうに感じますか?
そうそう起こらない「例外」
例え話の条件に書いている「※ただし例外を除く」についてです。
これは本当に例外中の例外で、自分は遭遇しないだろうと思っていてください。
例外とは「人生の目的から大きく離れようとしたとき」「生きなければならないのに死んでしまうとき」です。
イメージ的には「目的地が北極のところを南極に向かう状態」でこの例外に該当したときは、助手席に座っているグループソウルは一言だけ発することができます。
「そっちではない!」
そのように声が聞こえるかもしれませんし、大けがしそうな場面でも、かすり傷程度で済んでしまう場合や、なぜかそこに行く気がしなくなってしまうという「不思議な体験」となります。
魂は留まらない
魂は迷うことなくグループソウルに帰るのだろうか?
だいぶ前に、私はこの疑問について考えていた時期がありましたが、そのとき出た答えも今の答えも「魂は留まることはない」です。
その答えにたどり着いた理由は、またしてもそのように捉えないとつじつまが合わないことがあったからです。
大天使ウリエルにこのように言われたことがあります。
全ての人生はその時に完結しています。
だから過去世を心配する必要は無いのです。
ウリエルは未練などは残らないと言うのです。
人は転生の際に「人生の目的」を決めていて、どんな状況であってもしっかりとその人生の目的を達成して帰っていきます。
死に際に「あれもしたかった、これもしかかった」と言ったとしても、肉体から魂となって出た瞬間に、「ああ、そういう事だったのか!!」と納得してグループソウルへ向かう帰り支度をし始めるのです。だから、「魂は留まる必要はない」のです。
では、死に際に「あれもしたかった、これもしかかった」と言ったのはなぜか?
これは亡くなった方本人ではなく地球に残していった家族や肉親たちに向けたメッセージと受け止めてください。それを遺言と言います。
魂の行き来をサポートする存在たち
他にも「魂は留まることはない」と説明することができます。
それは、私たちの魂をサポートする存在たちがいるからです。
私たちの魂は一人で母親の母体に入り、死して魂となり一人で帰っているわけではないのです。
私は天使で多くを理解していますので天使を使ってザックリと紹介しますが、神道や仏教にも同じ役割の存在がいると思いますので、それぞれの宗教観で解釈してみてください。
生まれるときのサポート(行き)
大天使メタトロン
転生をすると決めた瞬間に、グループソウル内で人生の目的や「家族・親戚などのサポート体制」について転生する魂と話し合う
大天使アズラエル
転生先(母体)に入っていくまでのエスコート
亡くなった後のサポート(帰り)
大天使アズラエル
肉体からグループソウル手前までのエスコート
大天使サンダルフォン
グループソウルにある自分の魂の座席までのエスコートと、今生の振り返りをサポート
このような手厚いサポートが入り、魂が独りぼっちになるということが起こらないようになっています。
ちなみに、これらの天使の他にも宇宙存在であるアークトゥルスやアセンデッドマスターのエネルギー層も抜けていきますので、さらにたくさんのエスコートつきで行き来しているのが私たちの魂です。
それでも出てくる留まる魂の概念
未浄化の霊とは? 自分の側にいる霊とは?
「魂は留まることはない」という概念をもってしても、このような疑問が出てくるのです。
これは、人の意識の中の「先祖を敬う」「いつまでも一緒にいたい」という愛が発端となっています。
グループソウルに帰るまでの猶予時間がある
死んで肉体から魂が抜けた後、一瞬でグループソウルに帰ることができません。魂は肉体の中にグイグイと押し込められていますので、身体からポンと出てもその形を維持し続けるからです。
その形が元の魂の状態(イメージはモヤモヤしたもの)に戻るのに、地球の時間で50日前後必要です。
この間の魂は人生の目的を把握して全てが納得できる状態になっているので「感謝の念」を発し続けます。この「ありがとう!」「お世話になったね!」という感謝のエネルギーが、亡くなった人を感じたり、夢に出たり、虫が知らせたり、摩訶不思議な遭遇体験を生み出します。
その後、魂が元の形になったら、肉体があった場所に留まる必要は無いのでサポートチームと共にグループソウルに帰っていきます。
魂が帰った後に私たち感じるものは「思い出」からの創造
魂がグループソウルに帰った後に、亡くなった人の魂だと感じるものは、感じる人側の「思い出」です。
人の意識はあらゆるものを創造することができ、その中に、ご先祖さまの姿も含まれています。
お盆などのご先祖さまを思い出す集まりでは、それぞれ個人が持っている「思い出」を共有し合ってご先祖さまを創造し、「生前の教え」だけでなく今この瞬間に新たな気づきのきっかけを受け取るのです。
この創造はネガティブな霊の概念にも平等に適用されます。
いると思えばいる、いないと思えばいない。
人の創造力は何よりも強いので、なかなか「いるものをいないものと思う」ことや逆の「いないものをいるものと思う」というのが難しく感じるのも、創造力が強いからこそなのです。
おわりに
私が伝えたいのは、
「魂は繰り返しますが、1つ1つの人生はしっかり完結している」
ということです。
1つ1つの過去世も大切ですが、何よりも今生の人生が一番大切です。今生で何を学びたいのか、どのような行動をするのかを考えていくことが、今生の楽しみ方だと私は思います。
皆さんも是非とも今生の楽しみを見つけてください。