
スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
今回は「共依存」についてスピリチュアル的な観点で解説します。
解説に先立ちチャネリングだけでなくWebや本を参照したのですが、スピリチュアルで伝えられている「共依存」は非常にあいまいであると感じました。
後述しますが、スピでも共依存は存在し、宗教思想もレムリア状態も一つの見方として共依存と言える状態です。
それでは共依存を紐解いていきましょう。
共依存は自己喪失の病気
この言葉自体はスピリチュアルな言葉ではなく、厚生労働省のe-ヘルスネットで記載されている言葉を引用すると、
依存症者に必要とされることに存在価値を見いだし、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/alcohol/ya-058.html
<中略>
共依存者は被害者であるとともに共犯者でもあり、相手(依存症者)に必要とされることで自分の存在価値を見いだすためにそのような相手が必要であるという、自己喪失の病気であるといえます。
とあり、物質社会での捉え方は重症の場合『自己喪失の病気』となっています。
あえて重症と付け加えたのは、適度な共依存というものは日常茶飯事であるからです。
例えば、家族や職場の人々の間で行われているお互いを信頼することや、任せる、頼るという状態も自分の価値を見出す行為であり、他人の価値を見出す行為であり、見方によっては共依存と言えます。
しかしそれは先に引用した自己を喪失するほどの依存かというとそうではありません。
共依存は承認欲求と関りがある
アメリカの心理学者のアブラハム・マズロー氏が自己実現論(Maslow’s hierarchy of needs)の中でマズローの欲求段階説という欲求を5階層構造にしたものを提唱しました。
上から二番目に「承認(尊重)の欲求」とあり、この部分だけが承認欲求と捉えがちですが、スピリチュアルな観点『心や意識を満たす欲求』として捉えるとピラミッド構造全体が自分自身を認めるための承認欲求とすることが出来ますので承認欲求のピラミッドとして扱います。

そして、今回のテーマの共依存との関りを重ね合わせるとピラミッドの中では非常に広範囲に該当します。
範囲で言うと健康維持や経済的な安定を満たしたいという「安全の欲求」から自分が集団から認め、尊重されたいという「承認(尊重)の欲求」までの3階層に関るのです。
広範囲の承認欲求に関わってくるということは共依存には軽症や重症だけでなく様々シチュエーションがあるということがわかります。
共依存と向き合うときは考え方一片、一方向からの視点や思考では不十分であるということです。
共依存は良い?悪い?
共依存は良い悪いにこだわることが難しいものです。結局は程々に共依存を意識することがポイントになります。
ここからは特に極端な共依存に対する罪悪感、嫌悪感その真逆の愛好感は一旦手放して読み進めてみてください。
以降の宗教思想やレムリア状態と共依存の考察が理解しやすくなると思います。
宗教思想は“誰”と共依存か?
宗教思想は自分を受け入れてくれる場所、愛してくれる場所、「あなたは一人ではない」と感じさせてくれる言葉や思想によって心を満たすことが出来る「社会的欲求と所属と愛の欲求」の承認欲求を利用した共依存であると言えます。
一般的には「神」という存在を意識して承認欲求を満たしていくわけなのですが、神と共依存関係あると言えるでしょうか?
答えはNOです。
そもそも、神と同等とする考え方自体が許されないと思われる方もいると思いますが、それを考慮せずとも神という目に見えない存在と共依存することは出来ません。
必ず間に人間が入るからです。
神の声を聴いて伝える人、同じ思想、救われた体験を持つ人、同じ問題を抱えている人など、宗教思想であっても物質社会と何ら変わらず人間同士の共依存となるわけです。
宗教思想の中で神とトラブルを起こすことはなく、人間同士のトラブルになるのもこの共依存があると言えます。
レムリア状態は程々の共依存
レムリアについては過去に書いたので割愛しますので、過去のスピ解説をご一読いただくことをお勧めいたします。
人間同士でシンクロニシティが起こり、共同で行動、活動、創造し始めるレムリア状態は「人間同士の共依存」となります。
程々に共依存を意識した状態ではありますが結局、共依存の世界です。
極端な共依存に執着している方にはこの先にあるレムリア状態を理解する事は難しい世界になることを意味しています。
おわりに
共依存を調べると依存という言葉で非常に嫌悪感を持っている方が多いと感じました。
依存についても過去にアセンデッドマスター・仏陀からメッセージで解説をしたことがあります。
要約すると「信じて頼る」という状態の先に「依存」があるというお話です。
つまり、程々の共依存というのは「信じて頼る」ということとして考えてみても良いということです。
今回のスピリチュアル解説が共依存への執着を手放すきっかけとなりましたら幸いです。