【仏陀が教える心のバランス】信じる、頼る、依存の真実

心 バランスを学ぶ

スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。

今回は私がアセンデッドマスターの仏陀から受け取ったメッセージの中から、人生に役立つメッセージをご紹介します。

【信じる・頼る・依存】違いと順序

アセンデッドマスター仏陀のスピリチュアルメッセージ

皆さんは「信じる何か」を持っていますか?

家族の言葉や自分の心から湧き上がる感情、大自然がもたらすものなど、多様にあることに気づくでしょう。

皆さんは信じるということを、ごく自然に行っているのです。

では、頼るとは何でしょうか?

それは、「信じる」の先にあるものと思ってください。

「自分自身を信じることができなければ、自分自身に頼ることができない」ということです。

もし、誰かしらに頼られたいと思うなら、まずは自分を正直に表して、信じてもらうことを先に行うのです。何より、嘘偽りは手放すように心がけるのです。

人は産まれた瞬間から多くの者を頼って生きています。

今日一日だけでも、どれだけの人があなたの生に関与しているか数えてみると良いでしょう。

直接あなたが出会った人だけではありません。

あなたが目にするもの、口にするもの、嗅ぐもの、触れるものにも人が関与しています。


皆さんの中には、「頼る」ということに抵抗を感じている方がいます。

自分自身の中にある「頼りすぎてはならない」「甘えすぎてはならない」という罪悪感がその抵抗を生み出します。

その罪悪感は「依存する」ということに対して起こることであり、「頼る」ということに抱く必要はないということに気づいてください。

頼ることと依存することは大きく違います。

頼ることは先に伝えた通り、信じることの先にある感覚です。

一方、依存することは頼ることに先にある感覚です。

頼ることでは飽き足らず、更に進んで行くと「依存」という状態があるのです。

頼るという感覚でいられるときは、その頼った結果を自分自身で口に入れて咀嚼し、飲み込む事ができる状態です。

依存という感覚になっているときは、依存した結果が開いている口に勝手に放り込まれ、咀嚼することなく飲み込む状態になっています。これはいずれ消化不良を起こすか、のどに詰まってしまう事でしょう。

皆さんが心配している「依存」は頼る先にあるのですから、自分が頼った結果を自分の力で咀嚼できていることに気づけば、罪悪感を抱くことなく存分に頼ることができるようになるでしょう。

得て修したものを伝える「得・修・伝」

アセンデッドマスター仏陀のスピリチュアルメッセージ

私は自身の内面を見ることの大切さを伝えていますが、内面を見る自分だけに集中すれば良いわけではないのです。

この地球は人と人の繋がりで出来ていますから、この繋がりを感じるための行為が必要なのです。


自らの行によって修したものは、自分だけのものにするのではなく、人に伝えていかなければなりません。

そうすれば、自分が時間をかけて得たことを、周囲の人はもっと早く得ることができるのです。


多くの人が楽を求めているのは知っているでしょう。

ならば、その楽を行として自らの命を使うのです。

人から得ることと人に伝えることは、同等にあります。

「隠し事をされた」理由とすべき事

アセンデッドマスター仏陀のスピリチュアルメッセージ

「隠し事をされた」と嘆く声が聞こえます。

しかし、「隠し事をされた」だけなのでしょうか?

あなたが隠し事をしたから、隠し事をされたのではありませんか?

心当たりがあるのなら、単に、あなたがしているからされているだけのこと。

自身の振る舞いを改める機会が訪れているのです。

隠し事を好めば、隠し事は内外に問わず多くなっていくのです。

心当たりがないのであれば、心当たりのないままの「隠し事」があるということです。

単に嘆くよりも、自身を省みるのです。

そこにあなたの嘆きを払拭するほどの気づきが待っています。

おわりに

ここから再びスピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。

メッセージはいかがでしたでしょうか?

依存を気にされている方は、もっと自分を信じて良いかもしれません。

依存を気にしている方は仏陀が伝えている通り「咀嚼できている」状態だからです。

仏陀のメッセージの中にそのヒントがたくさんあると思います。

まずは自分のできることから取り組んでみましょう。