スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
今回は、私がアセンデッドマスターの仏陀から受け取った、人生に役立つスピリチュアルメッセージを6つご紹介します。
羨むこと妬むことの意味
アセンデッドマスター・仏陀のスピリチュアルメッセージ
人は人を自然に想う。
これは当たり前のように感じる方もいるかもしれません。しかし、「想う」というのは、単にその人の成長や喜びを分かち合うことだけではありません。
羨むことや、妬むこともまた想うことなのです。
人はこの星に生を受け、活動している間中、人との関わりはなくなることはありませんから、想うことを止められないということです。
自然に想ってしまうことを忌み嫌うのではなく、それもまた自己であると知るのです。
過去に囚われた心を解き放つ
アセンデッドマスター・仏陀のスピリチュアルメッセージ
人は風を操ることはできません。単に風に合わせて動いているだけです。
これまでにあなたの周りで起こった事も同じで、その発生を操ることはできません。
その発生にあなたが合わせて動いているだけなのです。すなわち、当時の過ちを悔い続けても仕方がありません。
当時はその過ちに合わせて動いていただけの事、いつまで悔い続けるのでしょうか。
心の赴くままに生きようとしてみなさい。
心の赴きは今を生きる意志に従います。
過去にすがることはないのです。
今からでも遅くはありません。
時期問わず、今を生きようとすれば生きやすさを享受することができるでしょう。
甘えは「元に戻す」自然な行動
アセンデッドマスター・仏陀のスピリチュアルメッセージ
甘やかすことを害悪としないでください。
苦みを感じたときに甘味を求めるのは当然のこと。
人は元の状態に戻る様に自然に行動しています。
元の状態は、あなたが心を穏やかに静かに過ごせる、落ち着いた状態を言い、それは生まれたときから知っている感覚で、生きている限り忘れることもありません。
落ち着いた状態を思い出すため、そしてその状態を味わうために、甘やかすことはとても大切なことなのです。
元の状態を思い出すことが出来ない場合には、甘やかせすぎという状態も起こります。しかし、心配する必要はありません。
甘やかすことばかりを選択し続けると自然に心が飽きるようになっています。
心が飽きる感覚も自然に受け入れてみて下さい。
翻弄される情報は不要
アセンデッドマスター・仏陀のスピリチュアルメッセージ
情報化社会にいる皆さんは、浴びるほどに情報を受け取ることができます。
その情報をあなたはどう見ているのでしょうか?
もちろん「安心」「安定」という安寧を生み出す材料とすべきです。しかし、それらを十分に吟味出来ていない人が多いのです。
ただただ翻弄され続ける人々、その状況は安寧から程遠いものになっています。
翻弄される情報は不要と考えることです。
あなたは安寧を生み出さねばなりません。
これはこの地球に生まれた理由にも繋がっていきます。
どの時期に情報の受け取り方を改めるかは任せますが、いずれは安寧を生み出すことに注力せねばならなくなります。
いつまでも同じ服を着ていれば汚れ、いずれはその汚れた古い服を手放し、新しい服を手に入れなければならないということです。
情報を忌み嫌う必要はありません。
入ってくるものを拒んではならないのです。
服が汚れるからと言って、服を着ずに外に出ることはできません。
人は必ず服を着なければならないからです。
入ってくるのもを拒むのではなく、入ってくるものに気を配り続けるのです。
気を配れば翻弄されることはありません。
手綱しっかりと握り、緩めてはいけないのです。
自分の意思で負の要素を抑止する
アセンデッドマスター・仏陀のスピリチュアルメッセージ
抑止とは、何らかのものを抑え込むことです。
抑える対象はあなたが決めなければなりません。
たとえ誰かに言われたとしても、それを聞き入れて決めるのはあなたでなければならないのです。
自分で決めたことであると意識することができれば、どんな物事も納得がいくようになるでしょう。
抑止自体に負の感情を抱く必要は無いのです。
このような事象の捉え方を「応用」と言い、自分の理解できるもの、納得できることに変換することができる方法です。
あなたの中にある感情に目を向け応用することで、あなたの正負の2極の感情はいかようにも変化します。
すなわち、あなたの中に抑え込んでいる負の要素も自在に変化させて昇華させることができるのです。
禁忌を犯し新境地に気づく
アセンデッドマスター・仏陀のスピリチュアルメッセージ
あなたの新境地に気づくために必要なことがあります。
それは、今の自分と違うことをするということです。
非常に単純なことかもしれませんが、これがあなたを悩ませている問題を解決する糸口となることもあります。
例えば、あなたが食事を摂るときに食べ散らかすことを禁忌としているならば、食べ散らかしてみるのです。そして、禁忌を破ったときに起こることをよく観察してみるのです。
そこに何が見えるでしょう?
罪悪感だけが残るようなことを勧めているのではありません。
自分の罪悪感が小さいもの中から、いつもと違うことを行うのです。
「食べ散らかす」であっても、単に撒き散らすということではないのです。
食べ散らかした食べ物は下に落ち、屋外であれば野鳥や虫などがやってくるかもしれません。
屋内であるなら、落ちた食べ物をふき取った際に目線がテーブルの下に行きます。
そこで何かのヒントを得るかもしれません。
椅子に座ることを一旦止めて床に座ってみたり、立ってみるのも良いでしょう。
いつも人に会って沢山話をするのであるなら、逆に黙ってみるのも良いでしょう。
あなたの罪悪感と相談し、いつもと違うこと(禁忌)をして、新しい目(新境地)に気づくのです。
おわりに
ここから再びスピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
メッセージはいかがでしたでしょうか?
仏陀は人生を「発見の連続」と捉え、ここで発見されたものには全て良質な意味があるとし、真意を常に探り続けています。
私たちも日常生活の中で直面する様々な出来事、ネガティブな部分だけではなく「良かった」と感じたポジティブな部分や、「当然」「当たり前」と感じるどちらでもないニュートラルな部分にも目を向けます。
簡単に言えば、普段と違う目線で考えてみるということですが、今回のブッダのメッセージを参考に色々と考えてみて下さい。