【スピリチュアルは危険?】現役スピリチュアルカウンセラーが徹底解説

スピリチュアルは危険?

スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。

私がチャネラー、スピリチュアルカウンセラーとして活動し始めた2014年頃に、このようなことを言われたことがあります。

「スピリチュアルって危なくない?」
「それって洗脳する例のやつでしょ?」

個人的には「何でそう思うのだろう?」と大きなクエスチョンマークがついた体験でした。

今回は、スピリチュアルの危険性について解説します。

スピリチュアルは本当に危険か?

「スピリチュアルは危険」という方は今もいます。

そのような方は「自分の人生を狂わされるから危険」と考えている方が多いようです。

実際にそのような事が起こるとしたら大変です。

しかし、スピリチュアルにそのような力があるのなら、既に競争社会で生きる多くの人がスピリチュアルを「相手を蹴落とす武器」「自分を優位に見せる道具」として手に取っていることでしょう。

では、あなたの周りの世の中を見てください。

実際はどうでしょうか。

人生を狂わすと言われるスピリチュアルを武器として利用している人はどれだけいるでしょうか?

残念ながら、スピリチュアル自体にはそのような力はないのです。

人生を狂わす正体とは?

自分の人生は、自分のためにあり、他人が奪うことも手にするこのもできない、この世で唯一ものと人生について私は皆さんに説いています。

人の命は奪えても、その人生まで奪えるものはこの世界に必要とされていないということです。

どこまで行っても人生を操作するプレイヤーは自分しかいないにも関わらず、「自分の人生を狂わされた」と発信している人が後を絶ちません。

この感覚がどこから出て来るかを明確にしましょう。


誰かに狂わされたという感覚は、その方の八つ当たりです。

ちょっとショックかもしれませんが、前述した通り「自分の人生は自分でしか触れることができないもの」ですから、狂わすことができるのは自分だけであるということになります。

しかし、自分の今の人生を認めたくない、知りたくない、見たくないという意識があると、自分以外に責任転嫁して八つ当たりを始めます。

その矛先はどんな事柄にも置き換わりますが、矛先をスピリチュアルにすると「スピリチュアルで自分の人生を狂わされた」という言葉が出てきます。

最終決定者は自分

どんなことであっても、最後は自分で決定していることを忘れてはいけません。

自分の人生という自動車の運転席に座って、ハンドルを握っているのはあなた自身であり、他の者たちは助手席で身振り手振りしたり、カーナビの音声のようにあなたに助言しているだけです。

その助言を聞いて右折するのはあなたですし、無視するのもあなたです。


もしそこであなたの人生が渋滞に巻き込まれたり遠回りしたとしても、「カーナビのせいで渋滞に巻き込まれた!!」「カーナビのせいで遠回りして遅れた!!」というのはカーナビ役のスピリチュアルがかわいそうというものです。

おわりに

スピリチュアルカウンセラー、ヒーラー、占い師、霊能力者、除霊師など、目に見えないものを扱うビジネスは多岐に渡り、実際、どこまでがスピリチュアルかという線引きかははっきりしません。

ただ、現在も「高額な墓を売りつける、何年にも渡る除霊、脅迫に近いもの」に代表される危険なビジネスはあるようです。


消費者から見た飲食店の食の安全性やエステの勧誘の実態などが不透明なように、全てのスピリチュアルが安全とは言い切れません。

ただ、私はスピリチュアルはご自分の人生を豊かにするためのツールと考えています。

これは日本になかったスピリチュアルの扱い方で珍しいようですが、だからこそ財産を搾取したり、人生を操作するなんていうことはありません。

ツールをあなたの人生で手に入れるかどうか、手に入れた後にどのように扱うかは、あなたが決めることです。

スピリチュアルにご興味がある方は、その提供者のサービスをしっかり調べてから取り入れるかどうか決めることをお勧めします。