スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
今回はアセンデッドマスターの空海から受け取ったスピリチュアルメッセージをご紹介します。
彼は日本中を旅しながら心の中で生まれる数々の感情や感覚について説いていました。アセンデッドマスターとなった今でも同じように心の変化についてのメッセージを聞くことが出来ます。
邪推は期待から起こる
アセンデッドマスター・空海のスピリチュアルメッセージ
人生を送る中で、誰もが邪推を経験する。
それは仕方がないことと心得なさい。
それは「する側」「される側」の両方の経験することを指し、どちらかが多ければ良いということではありません。邪推すれば、邪推され、その逆も然り。
なぜ邪推をするのだろうか?
それは、自分が一番大切だから。
自分を大切にするが故に、他が見えなくなってしまう。
これもまた仕方のないこと。
しかしそれを悔いるのではなく、「ただ起こること」と自戒して、もう一歩進み出なさい。
その一歩を踏み出すために邪推が必要だったということが分かります。
汚れが無ければ、綺麗になる意味が分からないのです。
なぜ自分を一番に据えてしまうのだろうか?
それは、あなたが自分に期待をしているから。
この世に生を受けた目的を達するための期待をしている。
その期待が大きければ大きいほど、自分への期待が大きくなるということ。
それが人間であり、生き様というものです。
清廉潔白が良いとは言い切れない
アセンデッドマスター・空海のスピリチュアルメッセージ
清廉な行いをし、潔白な心でいること。
人々はこれを求め、突き詰めるところ、それに成ろうとしているのです。
これは日頃の他に対する「行い」はもちろんのこと、自身を清潔に保つことや、過ごす場所の整理整頓もまた清廉潔白を体現することになるのです。
さて、人が追い求めている「清廉潔白」の境地はあるのでしょうか?
あると言えばあり、ないと言えばない。
なぜなら、境地は自分で決めなければならないからです。
もっと言えば、清廉潔白を求めなければいけないと考えているのも自分なのです。
あなたの「行い」を否定しているのではありません。
「このままで良い」と言っているのです。
もし、あなたが「このままで良い」と思うならそれで良し。
もし、あなたが「このままではいけない」と思うならそれで良し。
あなたの前には、あなたが思う清廉潔白を証明するものが溢れています。
それらを利用し、あなたができる行いをするのです。それがあなたの清廉な行いならば、行いをしたあなたの心は益々潔白になっていくことでしょう。
好き・嫌いは命を削る行為
アセンデッドマスター・空海のスピリチュアルメッセージ
人には好みがあり、好くもの、嫌うものに分ける性質があります。
これは自然なことであり、それを律する必要はないのです。しかしながら、人を嫌う「意味」を考えることは大切です。
なぜ人を嫌うのだろうか?
ここに明確な意味を自分自身で見出せないのであれば、嫌う意味が無く無意味となる。
好くこと、嫌うこと、共に意味が必ずあります。
例えるなら、「暑いことが嫌い」という理由を問えば、「汗が出て汚れる」「顔が赤くなる」というような明確な理由を出すことができるでしょう。それと同じように、人を嫌う理由を明確に答えることができるかを自身に問うのです。
明確に答えられるなら、今はその人を嫌う選択をしても良いでしょう。
次に、一つ問いかけたいことがあります。
自分自身で見出せた答えにたどり着いただろうか?
先程の例えのように、暑いという「自身」の体験から、汗が出たり、熱を持ったりという「自信」にたどり着いたのか?
ということです。
あなたの周りには、あなたの好き嫌いを左右する情報が多くあります。
その「情報だけ」で、あなたは好き嫌いを左右していないでしょうか?
情報だけで嫌うのは、自分自身の明確な意味を持っていない状態で嫌うことです。
何度も伝えますが「自身の体験」として明確な理由を探すのです。
嫌うことは自身の体験という命を削る行為です。もちろん、好くことも同様に命を削る行為です。
どちらも命を削ることであり、好くことも嫌うことも同じくらいの力が必要なものなのです。
どちらも楽な事ではないのですから「好くことをできるだけ選び参加すべきだ。」と私は最後に添えておきましょう。
甘美なものを探しなさい
アセンデッドマスター・空海のスピリチュアルメッセージ
人は何かにつけて辛さを探しています。
それはなぜでしょう?
辛い思いの先に甘美を見ているからです。
空腹という辛さに対する、満腹という甘美
上り坂という辛さに対する、下り坂という甘美
人は欲深いものですから、より多くの甘美を求めます。その多くの甘美を求めるが故に、眼前の辛さを探すのです。
このカラクリに気づくことで、眼前の辛さを探す必要がないことが分かるでしょう。
満福という甘美だけ、下り坂という甘美だけを求めるのです。見渡せば簡単にそれは見つかります。
それもまた眼前にあるからです。より多くの甘美は眼前にあると知るのです。
1つ1つの甘美を丁寧に感じ続けることで、あなたは甘美の中で生きることができるのです。
循環の中で生きていると知る
アセンデッドマスター・空海のスピリチュアルメッセージ
世に存在するものは全て循環の中に生きています。
雲はその場所に留まることはないし、人も同じことをすることはないし、野菜はいつまでも瑞々しいことはなく、いずれは腐ります。
全ては循環の中にあり、その循環のおかげで「生」を味わっている。
それを踏まえ心に刻み、眼前にあることや所業を見てみるのです。
そこに「生」を感じるでしょうか?
感じるならば、それがどんな事であろうと循環の中にあるということです。
循環の中にあれば、仮に大雨が降っていたとしても、やがては晴れて雨によって土地が潤い、草木が茂ります。
眼前の凶事もまた循環にあって、それがいずれは吉となり、潤すものとなるのです。
このように言うと、直ぐに疑心を抱くのも人の性です。
眼前の凶事が循環の外にあると疑うのです。
循環の外にいくことはありません。直ぐに循環の内に引き戻されるからです。
多くの人が前に進んでいる道で急に立ち止まると、後ろの人はぶつかり、中には文句や押して再び進む事を促すでしょう。
どのような手段で引き戻されるかは時々によって違いますが、とても強い力で引き戻されることに変わりありません。
「生」を感じたければ、循環を楽しむことです。
循環があるから、つまずき、転ぶのです。そして、転んだ体験を次に活かすことができるのです。
おわりに
ここから再びスピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
空海さんのメッセージはいかがでしたでしょうか?
空海さんは苦を嫌う生き方をしています。もちろん、今の私たちから比べれば「修行」というカテゴリーに該当することばかり行っていましたが、当の本人は「この道こそ我が道なり」と自分でやりたいことを選び、その先で巻き起こる様々な変化を楽しんでいるように見えます。
一方で我が道ではない行動は弟子たちに任せたり、先送りにする選択を自由に行っています。これもまた楽な選択と言えます。
私たちも出来るだけ自由に楽な甘美な選択を行うことを心がけて行きましょう。