スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
今回は目の前に起こった出来事の意味についてアセンデッドマスターのソロモンが解説します。
全てに意図がある
アセンデッドマスター・ソロモンのスピリチュアルメッセージ
目の前にあるカップを手にするという行動は、意図なく行うことはできません。
必ず手に取るための「意図」があるのです。
入っている水を飲むために手に取ることもあれば、カップを洗うため、下にあるものを取るために手に取ることもあるでしょう。
ただ何となく手に取るということもあるかもしれませんが、これも「何となく手に取る」という意図のもと行動しています。
このような場合は自身の「無意識領域」の確認をするために行っています。
ここまでの例え話は自身の行動によるものですが、自身の外側で起こることにも同様な「意図」があります。
皆さんは「求めていたものが丁度良く目の前に来る」ということを体験したことがあるでしょう。
丁度良く電話がかかってきたり、人や電車やバスがやってきたりすることです。
これにも「意図」があることに気づいているでしょうか。
なぜ、丁度良く電話がかかってきたのでしょう?
なぜ、丁度良く人や物がやってきたのでしょう?
意図の内容は毎回違いますので、自分で分析しなければなりません。
なぜ、自分の目の前でその出来事が起こっているのか?
何らかの偏りに気づくことがあります。
その場合は「偏りがあると知る」という意図で目の前で起こっています。
感情を揺り動かすものがあるならば「その感情を知る」という意図で目の前に現れています。
「出る杭は打たれる」の意味
アセンデッドマスター・ソロモンのスピリチュアルメッセージ
出る杭は打たれる
これはごく自然なもので、自然界では当たり前のように行われているものです。
草食獣は肉食獣からの被害を最小に抑えるために群れを作り、万全の注意を払い続けています。
「出る杭」というのはこの草食獣で言うならば群れから外れる事で、外れてしまった草食獣は肉食獣の標的となって見事に「打たれて」しまうのです。
植物でも同じで、1つの大樹が陽の光をすべて奪うように葉を広げて「出る杭」となった場合、地面の草花は腐り、大樹は根元から草花と一緒に腐ってしまうことでしょう。
出る杭というものは、自然界のような均衡を保つものたちにとっては元に戻す対象となってしまうのです。
これは人も同様で今の状態を維持するために多くの人は元に戻そうということをするのです。
しかし、ここで勘違いをしている人も多くいます。
全ての行動や主張が「出る杭」ではありません。
何でも元に戻す対象とされ、何も動けない状況があると感じているなら、「今はその方向に行くべきではない」ということに気づくことです。
どんな物事であっても必ず打つ手はあると言っておきましょう。
別の方法を試したとき、以前の苦労はこのためにあったのだと知ることが出来るでしょう。
見たくないものを見る理由
アセンデッドマスター・ソロモンのスピリチュアルメッセージ
なぜ、見たくないものを見てしまうのか?
自問自答している人たちの声が聞こえます。しかし、これは仕方なのないこととして理解してあげましょう。
目の前で起こっている出来事はあなたが見ようとしたから起こっています。
外で喉が渇き、水が飲みたいという欲求によって、水を求めます。この時にあなたの周りに「水」が発生するのです。
単に水が湧き出るということではありません。
その可能性もゼロではありませんが、それ以外の方が叶いやすい事実としてあなたが認識していますので、公園の蛇口、自動販売機、人が持っている飲料水、お店のウォータサーバーなどが見えるようになるのです。
今まで気づかなかったところに都合よく見つかるのはこの仕組みによるものです。
見たくないものであっても学びたいという好奇心によって同じ仕組みが適用されます。
見たくないものを見てしまったときは感情が波立ってしまうことも良しとしましょう。
これも人間である故の反応だからです。
その後の余韻を味わう感覚、振り返りを行うことが大切なのです。
感情は穏やかな状態を維持しながら、見たくないものを見たときのことを思い返します。ここで、感情が再び揺らぐならば今は思い返す思い返すときではないということですから、すぐに止めましょう。
穏やかに、冷静に振り返りを行うと、何に対して自分の好奇心が働いたのかがわかるようになります。
大抵の場合は、反面教師として利用する学びのためです。
あなたが見たくないと思ったのなら、そのような状況を自分自身で起こさない、創り出さないように心がけて下さい。
それを繰り返していけば、見たくないものに遭遇したときでも、心を痛めずに済むようになるでしょう。
おわりに
ここから再びスピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
メッセージはいかがでしたでしょうか?
「全て偶然ではなく必然」という理由は今回のメッセージでご理解いただけたと思います。
どんなものも学びのために起こっていますが、良くも悪くも受け入れがたい出来事は「偶然」として目を背けてしまいがちです。これが「出る杭」となった場合、再び受け入れるために同じことが起こりますので、その時は「必然」として受け止めてみましょう。