
スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
今回は私がアセンデッドマスターの仏陀から受け取ったメッセージの中から、人生に役立つメッセージをご紹介します。
幸福を感じるための近道
仏陀のスピリチュアルメッセージ
あなたの思いが通じたとき、そこには感謝が生まれます。
それはどんなときでも同じで、必ず感謝が生まれるのです。
何より大切なのは「感謝が生まれた後を知ること」です。
単に感謝を伝えたり、受け取ったりすることではありません。
感謝は入口ですから、そこで満足せずにそのまま奥に進むのです。
あなたの思いが通じたときを振り返ってみましょう。
感謝が生まれていることに気づいているでしょうか?
それがごく当たり前の行為として認識していると、気づくことができない状況が生まれます。
まずは感謝に気づくことです。
感謝を相手に伝えているでしょうか?
相手が人ならば態度で示し、相手が物ならば心で示すのです。
言葉や表情、手を合わし自らの心を伝えるということが示すということです。
感謝を伝えた後の余韻を味わっているでしょうか?
習慣化した感謝には余韻を味わう間がありません。
習慣というものは出来る限り間を排除したものですから、感謝が惰性となり、何のための感謝であるのかを味わうことができないのです。
眠れること、食べられること、清潔でいられること、自身が望んだ最良の姿になっていることに感謝し、余韻を味わう。
この状態を「幸福」と言うのです。
幸福を求めるならば、感謝の見直しを図ることが近道なのです。
「普通」を手に入れる方法
仏陀のスピリチュアルメッセージ
今までも「普通」というものを説いてきましたが、ここで改めて振り返りをするときが来ているようです。
普通とは何か?
心の平穏や安定を生み出す材料であり、人はこの「普通」を求めて生きています。
ですから、容易く「普通」を得る方法を模索している方たちも多いのです。
ですがこれだけは知っておいてください。
普通を得るための仕組みの中に「多易さ」は入っていません。
だからと言って「複雑さ」が入っているということでもありません。
そこにあるのは「慣れ」であり、時間があれば全てを解決することができるのです。
普通は「慣れ」から生まれます。
自身の過去を振り返ればそれがわかるでしょう。
皆さんは多くの「普通」の中で生きていますから、その意味がわからない人はいません。
では、今日に始まったことではありませんが
「普通を容易く得られる」と言う人がいるのはなぜでしょう?
それは嘘をついているわけではありません。そこに善悪、白黒を持たせてはいけません。
これを言う人の中では「普通」であるというだけなのです。
この「普通」を手に入れた人は時間をかけて「慣れた状態」となっているだけなのです。
この人が伝えている本質を見るのです。本質にはその人が「慣れるまでに行ったこと」がまとめられています。
それを見聞きし、実践することでその人よりも早く慣れることができるのです。
人は進化をし続けています。
100年かけて行ってきたことが、今では10分も掛からずできるようになっています。
これこそが「慣れ」による普通の為せる技なのです。
あなたも多くの先人の言葉を聞き、素早く慣れて、平穏と安定の「普通」を見つけ出すのです。
愛情の裏返しは不要 照れ隠しは方便
仏陀のスピリチュアルメッセージ
他人から自分の想定ではない答えで返されることがあります。
これをある人は「愛情の裏返し」として処理しています。
それが無理のない理解であれば良いですが、苦い薬を吐かずに飲むような無理をしているようなら改める時期が来ています。
愛情を裏返す必要はありません。
なぜ愛情という尊い感情を裏返して隠して与えなければならないのでしょう?
自分がされて嬉しいと感じることをすれば良いだけのこと。
もしそれが回りくどい裏返しを好むなら、そのような全てがあべこべの人生でも良いでしょう。
そうではないと思うなら、今から自分がされて嬉しいと感じることを人にするのです。
あなたが他人にすれば、他人もあなたにそのように接するようになるでしょう。
実に裏のない仕組みが既に目の前にあるのです。
裏返しは照れ隠しと言う人がいます。
しかし、それは方便です。
自分がされて嬉しいと感じる行為を他人にできないと言う方便なのです。
全てを一度にする必要はありません。
ただ会釈をするだけでも、無視をしていない表現となって「自分がされて嬉しい行為」となります。
どんな照れていたとしても、何らかの表現を持って相手に伝えるべきなのです。
それが裏返しを手放すきっかけとなるでしょう。
【頼る・依存・信じる】その違いと順序
仏陀のスピリチュアルメッセージ
皆さんは、「信じる何か」を持っていますか?
家族の言葉や自分の心から湧き上がる感情、大自然がもたらすものなど、多様にあることに気づくでしょう。
皆さんは信じるということを、ごく自然に行っているのです。
では、頼るとは何でしょうか?
それは、「信じる」の先にあるものと思ってください。
「自分自身を信じることができなければ、自分自身に頼ることができない」ということです。
もし、誰かしらに頼られたいと思うなら、まずは自分を正直に表して、信じてもらうことを先に行うのです。何より、嘘偽りは手放すように心がけるのです。
人は産まれた瞬間から多くの者を頼って生きています。
今日一日だけでも、どれだけの人があなたの生に関与しているか数えてみると良いでしょう。
直接あなたが出会った人だけではありません。
あなたが目にするもの、口にするもの、嗅ぐもの、触れるものにも人が関与しています。
皆さんの中には、「頼る」ということに抵抗を感じている方がいます。
自分自身の中にある「頼りすぎてはならない」「甘えすぎてはならない」という罪悪感がその抵抗を生み出します。
その罪悪感は「依存する」ということに対して起こることであり、「頼る」ということに抱く必要はないということに気づいてください。
頼ることと依存することは大きく違います。
頼ることは先に伝えた通り、信じることの先にある感覚です。
一方、依存することは頼ることに先にある感覚です。
頼ることでは飽き足らず、更に進んで行くと「依存」という状態があるのです。
頼るという感覚でいられるときは、その頼った結果を自分自身で口に入れて咀嚼し、飲み込む事ができる状態です。
依存という感覚になっているときは、依存した結果が開いている口に勝手に放り込まれ、咀嚼することなく飲み込む状態になっています。これはいずれ消化不良を起こすか、のどに詰まってしまう事でしょう。
皆さんが心配している「依存」は頼る先にあるのですから、自分が頼った結果を自分の力で咀嚼できていることに気づけば、罪悪感を抱くことなく存分に頼ることができるようになるでしょう。
人から得られること
仏陀のスピリチュアルメッセージ
私は自身の内面を見ることの大切さを伝えていますが、内面を見る自分だけに集中すれば良いわけではないのです。
この地球は人と人の繋がりで出来ていますから、この繋がりを感じるための行為が必要なのです。
自らの行によって修したものは、自分だけのものにするのではなく、人に伝えていかなければなりません。
そうすれば、自分が時間をかけて得たことを、周囲の人はもっと早く得ることができるのです。
多くの人が楽を求めているのは知っているでしょう。
ならば、その楽を行として自らの命を使うのです。
人から得ることと人に伝えることは、同等にあります。

「隠し事をされた」理由とすべき事
仏陀のスピリチュアルメッセージ
「隠し事をされた」と嘆く声が聞こえます。
しかし、「隠し事をされた」だけなのでしょうか?
あなたが隠し事をしたから、隠し事をされたのではありませんか?
心当たりがあるのなら、単に、あなたがしているからされているだけのこと。
自身の振る舞いを改める機会が訪れているのです。
隠し事を好めば、隠し事は内外に問わず多くなっていくのです。
心当たりがないのであれば、心当たりのないままの「隠し事」があるということです。
単に嘆くよりも、自身を省みるのです。
そこにあなたの嘆きを払拭するほどの気づきが待っています。
おわりに
ここから再びスピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
メッセージはいかがでしたでしょうか?
感謝をするとそこから幸福が生まれます。つまり、感謝が自然に出てくる場面を自ら創ることが幸福への近道となります。
さて、どのようにすればこの「感謝が自然に出てくる場面」を創ることが出来るのでしょう?
仏陀のメッセージの中にそのヒントがたくさんあると思います。
まずは自分のできることから取り組んでみましょう。