
日常という枠を手放すこと
アセンデッドマスター・ヒラリオンのスピリチュアルメッセージ
日常というものは、器にずっと水が入ったままになっている状態と同じです。
水は鮮度を失い、「利用したい」と思う機会が少なくなるでしょう。

人はこの鮮度が失われた水を大切にしたいと思っているのです。
なぜなら、利用価値は少なくなっていきますが、ただ水が「ある」ことで安心するからです。
日常を追い求めるということはそういうことです。
水を捨てるのです。
よく見れば、その水は古くて利用機会がないものであると気づくはずです。
器が空になることが「怖い」と感じるかもしれません。
それは日常の枠を手放す怖さというものです。
しかし、空にするとすぐに変化が起こりますから、その怖さは直ぐに感じなくなるでしょう。