スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
無償の愛を「無料」という意味だと捉えている方が大変多くいらっしゃいます。
確かに「無償」という言葉を辞書で引くと「無料」という意味であるのですが、本来の意味は違うのです。その誤解を解き、本当の意味を2回シリーズでお伝えします。
こちらは2回目の記事となっております。
1回目の記事を未読の方は先にお読み頂くことをおすすめします。
「無条件の愛」の条件とは
無条件の愛の元では「○○だから愛している」ということが何ひとつ成り立ちません。
「笑顔がかわいいから」「優しいから」「カッコイイから」「親だから」「自分の子どもだから」「パートナーだから」「存在するから」などという愛する理由がある限り、それは無条件の愛にはならないのです。
親が自分の子の危機を助けようと行動したとしても、そこに「自分の子だから」「目の前で危機があったから」という理由があると無条件とは言えません。
厳密に見ていくと、人間は1つの理由もなく行動すること自体ができないので、無条件の愛が非常に困難だとわかります。
こうして深く考えていったとき、「アセンデッドマスターたちが人間のときにしていたことは無条件の愛と呼べるのか?」という疑問が湧いたので、直ぐに彼らに繋がって聞いてみました。
ブッダの場合
彼は、
私の話を聞きたい人に私の話をした。
と答えてくれました。
つまり、ブッダは無条件ではなく「話を聞きたい人」という条件を付けて説法をしていたそうです。
全ての人の自己愛を優先し、無理に聞きたくない人に聞かせるというような強要をせずに活動していたということです。
モーツァルトの場合
彼は自分が奏でる曲に愛を注ぎ、弾きたいように弾き、歌いたいように歌い続けていました。
他人の評価より、自分が心地良く楽しくあることが重要で、つまりそれは「自己愛」を中心に生きていたということです。
もちろん、自分が生きるための最低限の調和は行いますが、基本的に自分のしたいように行動しました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの場合
私が見た中で一番「自己愛」に生きた人で、無条件の愛にはほど遠いように見えます。
しかし、彼が言うには「特定の人たち」には優しく、何でも願いを聞き入れていたと言います。
「特定の人たち」というのは今で言うパートナーや親友のことです。
他のアセンデッドマスターたちも・・・
他にもアセンデッドマスターに繋がってみましたが、どの存在も自己愛に生きていました。そこで分かったのは、自己愛に生きると自然に無条件の愛に繋がっていくということです。
しかし、「完全な無条件」には誰も到達していませんでした。
完全な無条件の愛には誰も到達できない
アセンデッドマスターであっても、条件が全くない「完全な無条件の愛」に到達した方はいませんでした。
不思議に思い、人間が進む次のステージである第4密度、その先の密度にも目を向けてみましたが到達していないのです。
終着点としている宇宙の中心であるグレートセントラルサンでも『更なる愛を知りたい』という条件によってビックバンが起こって今の宇宙が誕生しているので、人間からすれば計り知れないほどの純粋な愛のエネルギーではありますが「完全な無条件の愛」ではないからです。
アセンデッドマスターも第4密度以上の存在も、私たちから見えれば限りなく無条件に見えますが、まだまだ条件つきの愛で活動をしているということになります。
「無償」「無条件」という極端なこだわりを自己愛と相談しながら少しずつ手放して、統合に向けた気づきを受け取っていきましょう。
完全な無条件の愛はどこ?
しかし、完全な無条件な愛という状態は存在しています。
それは全ての愛のエネルギーが収縮してビックバンが起こる前の状態(元の状態)に戻ったときです。
おわりに
再びスピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
2回シリーズで「無償の愛」の誤解を解き、本来の意味について解説いたしました。
まずは無償を無条件に置き換えてみてください。
それだけでも多くの誤解が解けると思います。
そして最終的にはアセンデッドマスターたちが実践していたように自己愛を目指すようにすると、無条件ではなく『丁度良い条件の愛』に自然に向かっていきます。