
スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
最近「フラットアース(地球平面説)」という言葉を耳にする方が増えているようです。これは「地球は球体ではなく平面である」という考え方で、古代の世界観の一つでもあります。
今回は、フラットアース派の主張とその矛盾、そして「もし本当に地球が平らだったら?」と仮定したときに見えてくる未来について考察してみましょう。
フラットアース派の主張と矛盾
フラットアース派は、例えば次のように主張します。
- 地平線は平らに見える
- 船が遠ざかるのは錯覚
- NASAの写真は合成
- 太陽と月は小さく近くを回っている
一見すると直感的でわかりやすい説明ですが、観測や実験に照らすと矛盾が多くあります。
例えば、船が下から順に見えなくなるのは「地球が丸い」からこそ説明できる現象です。
また、NASAだけでなく世界中の宇宙機関や民間企業が地球を撮影していますが、そのすべてが一貫して「球体の地球」を示しています。

なぜフラットアースを信じるのか?
科学的には矛盾が多いのに、なぜ一部の人はフラットアースに惹かれるのでしょうか。
思いつくままにその心理をまとめてみるとこのようになりました。
- 権威や科学に対する不信感
- 「自分だけ真実を知っている」という承認欲求
- 仲間とのつながりやコミュニティの一体感
- 複雑な宇宙論よりシンプルで安心できる世界観
この「シンプルさ」というのは、とても共感できる部分でもあります。
けれども、そこに未来を描けるかどうかが重要なポイントになります。
もしフラットアースが「真実」とされたら?
仮にフラットアースが社会全体で受け入れられたとしたら、どんな未来が待っているでしょうか。
- 科学への信頼が揺らぎ、気候変動や医療の議論も成立しなくなる
- 陰謀論が強化され、社会が分断されやすくなる
- 宇宙探査や科学技術に向かう動機を失う
- 世界観が「閉じた小さな領域」にとどまり、想像力が広がらなくなる
シンプルでわかりやすい世界観は手に入りますが、未来を創造する力は弱まってしまうのです。
ここで「どんな新しい思想も最初は大変で、産みの苦しみがあるものだ」と思う方もいるかもしれません。けれどもフラットアースは、そのような「一時的な困難を乗り越えて未来を切り開く」類の思想ではありません。
なぜなら、地動説や進化論のように人類の視野を広げる方向には働かず、むしろ「小さな世界にとどめてしまう」性質を持つからです。
つまりフラットアースは、苦しみを経て豊かな未来を創る種子にはなりにくいのです。
思想の本当の価値とは?
歴史を振り返ると、根本的な常識を覆す思想は、人類に新しい可能性を示してきました。
例えば「地球は宇宙の中心ではない」という発想(地動説)は、科学だけでなく芸術や哲学にも新しい時代をもたらしました。
大切なのは、その思想が未来を広げるビジョンを提示できるかどうか です。
フラットアースには安心できるシンプルさはありますが、どのように考察しても人類の未来を広げる可能性を感じにくいのです。

未来を広げる視野を持つために
フラットアースは直感的に理解しやすい考え方です。しかし、それが人類の未来に新しい道を示すことはありません。
一方、地球が球体であることを受け入れるのは、科学的な事実を知ること以上の意味を持ちます。それは、私たちが 宇宙に開かれた存在 であると理解し、探求心と創造性を未来へつなげていく基盤となるのです。
おわりに
もし地球が平らだったら…そこに待っているのは安心できるシンプルな世界観かもしれない。
シンプルが大好きな私、Tomokatsuは、今回もそんな気持ちで考え始めました。でも、そうではないという結論に至っています。そこで改めて感じたのは、私たちが本当に求めているのは、「わかりやすさ」ではなく、「未来を広げる視野」なのではないでしょうか。
20世紀に21世紀の世界観にキラキラしたものを感じていたあの感覚に近い気がします。
「これができたら、あれもこれも色々実現できるのでは!!?」というワクワク感にも近いです。
そういう想像をして、創造していく、この基となるものが未来を広げる視野なのかもしれません。そしてその視野は、誰もが日常から育てていけるものです。







