スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
総合チャネリング講座を修了してスピリチュアルカウンセラーやヒーラーとなった皆さんとお話をしていると、 胎内記憶や転生前の記憶があったり、オーラや天使が見えたり、そのエネルギーを感じ取れる子どもたちの話題が出てきました。
その中では、そのような子どもたちと私の少年時代の体験「見えないものが見える時期」と共通する部分が多くあって驚きました。
特に、エネルギーを感じられたり目に見えない存在が見えたりする能力が、中学生くらい(13歳~15歳)になると無くなってしまったという点は一致しました。
中学生くらいになると能力が無くなってしまう理由と能力を私のように無くならないようにする方法を解説いたします。
オーロラチルドレン
「オーロラチルドレン」は、
インディゴ、クリスタル、レインボーの特徴が混ざり合った子どもたち
を指します。
「エネルギーを感じ取ること」を生まれた時から行っている子どもたちで、生粋のチャネラーと言えます。
(チャネラーは目に見えない存在と話したり、見たり、感じたりすることができます。「エネルギーを感じ取ること」をチャネリング、自分の意のままにチャネリングする人をチャネラーと呼びます。)
ちなみに、オーロラチルドレンは私が創り出した言葉です。
能力が消える原因
オーロラチルドレンはそのまま大人になったらチャネラーと呼ばれる人材となります。
しかし、今現在その様に育った人は少ないでしょう。
中学生くらい(13歳~15歳)にその能力が無くなった人がほとんどです。
私の話になりますが、私は少年時代に「霊感」というチャネリングをしていました。
小学校では自慢げに友達に披露していましたが、四六時中「見える状態」なので、登下校に電柱の横に人影を見たり、就寝中に起こされたりと困った部分も多くありました。
そして、中学時代には友達にも披露することなく、ただの迷惑な能力だと感じていました。
そんなある日、パタリとその能力が無くなります。
そこから社会人時代まで、チャネリングから離れた生活を送ります。
その後あるきっかけで、霊感がチャネリングであると理解し、再びチャネリングを使い始めてチャネラーとしての今の私が誕生しました。
詳しく知りたい方は私のプロフィールをご参照ください。
中学時代に無くなったと思った霊感が、大人になって再びチャネリングとして利用できるようになったという実体験から言えるのは、
チャネリング能力は無くなったのではなく、何らかのきっかけで封印もしくは利用しなくなった
ということです。
例えば、中学時代で心の変化「思春期」を迎え、天使などの目に見えないものの話をすることが恥ずかしいと感じたりすると、自然に利用しなくなるきっかけとなります。
残念ながら私は中学時代のこの頃の記憶がないので原因がハッキリしませんが、私の場合は能力を迷惑と感じていたので「封印」したという方が腑に落ちます。
能力を持ち続ける方法
子どもたちがチャネリング能力を持ち続けるためには、周りの人たちの理解が重要です。
私の場合、家族に霊感の話はできませんでした。
そのような事に理解されないと思っていたからです。
しかし、冒頭で紹介した胎内記憶や転生前の記憶があったり、オーラや天使が見えたり、そのエネルギーを感じ取れる子どもたちはご両親に自然な形で共有しています。
この共有に感謝し、大切な情報であることを素直に伝え続けてください。
そうすることで、自分の行っていることに「自信」が生まれ、使い続けてくれるでしょう。
スピリチュアルメッセージ
最後に、子育てに関するスピリチュアルメッセージをご紹介します。
アセンデッドマスター・マグダラのマリアから私が受け取ったメッセージです。
マグダラのマリアのスピリチュアルメッセージ
愛の表現の1つとして「子煩悩」というものがあります。
これは、自身を親としたときに自身の子のように思える関係であり、子に対して深い愛情を注ぐことを言うのです。
時としてこの深い愛情が親の独りよがりとなってしまうことがあります。
子はそれを望んでおらず、親が差し出すものを親のために受け取っているという状態もあるのです。
これは、子の深い愛情が親へ注がれている状態ですから、子煩悩とは言えるものではないのです。
子煩悩を体験したいのなら、子煩悩でありたいと思うなら、「慈しみ」を身につけなさい。
子煩悩は起点に過ぎません。
まだ、愛の矛先が子に向けられているかどうかが定まっていないということです。
しっかりと子に注がれるようにしたいと思うなら、子をよく観察するのです。
子が助けを求めているかどうかを見極めるのです。
親であるからこそ、子に対して見極めができます。
子は普段からの親の教えを参考にしながら行動しています。
全てが間違っていたり、全てが決まりから逸脱したりするようなことではないのです。
よく観察をするのです。
子が必要だと表現したとき、手を差し伸べるのです。
子が必要ではないと表現したとき、成長を称えるのです。
これが「慈しみ」であり、子煩悩である人の境地なのです。