
スピリチュアルカウンセラーのTomokatsuです。
心霊写真を見たとき、
「これ、本物ですか?」
と思ったことはないでしょうか。
- 顔のようなものが写っている
- 人がいないはずの場所に人影がある
- 白い光やモヤのようなものが写っている
そして、誰かが、
「これは危険な心霊写真です」
なんて言った瞬間、急に怖くなってしまうこともあります。
でも、今回は少し違うところから心霊写真を考えてみたいと思います。
そもそも「本物の心霊写真」とは、一体何なのでしょうか。
「本物」には二つの意味がある
心霊写真について「本物ですか?」と聞くとき、実は二つの話が混ざっています。
一つは「加工や合成をしていない写真なのか」ということ。
もう一つは「そこに写っているものが、本当に霊なのか」ということです。
この二つは同じではありません。
加工されていない写真であっても、写っているものの原因が分からなければ、それだけで「霊が写った」と証明されたことにはなりません。反対に、撮影上の現象で説明できたからといって、その写真を見た人が感じた驚きや不思議さまで嘘になるわけでもありません。
ここを分けて考えるだけでも、心霊写真は少し違って見えてきます。
心霊写真はいつからあるのか
心霊写真の歴史をたどると、写真が普及し始めた比較的早い時期までさかのぼります。
19世紀の欧米では、死者の霊とコミュニケーションできるとするスピリチュアリズムが広まりました。
その中で、1860年代初めにアメリカのWilliam H. Mumler(ウィリアム・H・マムラー)が、人物の背後などに亡くなった人のような姿が写る「スピリット・フォト」を撮影し、商業的に提供するようになります。南北戦争など、多くの人が亡くなった時代には、亡くなった家族ともう一度つながりたいという人々の思いも、心霊写真への関心を高めていったとされています。
ここで面白いのは、
「写真なら、そこにあったものをそのまま記録しているはず」
という感覚です。
写真には、目撃談とは違う説得力があります。
「見た」と言うだけではなく「ほら、ここに写っているでしょ」と言えるからです。一方で、写真はデジタルになるずっと以前から、合成やトリック、演出にも使われてきました。メトロポリタン美術館も、デジタル以前の写真加工の歴史の中で、マムラーの心霊写真などを紹介しています。
つまり心霊写真には、かなり昔から、
「写真だから証拠になる」
という側面と、
「写真だからこそ不思議なものを作れる」
という側面が同時にあったのです。
日本で作られた「心霊写真らしさ」
日本では、特に1970年代のオカルトブームが現在の心霊写真のイメージに大きく関わっています。
民俗学者の飯倉義之氏は、中岡俊哉氏の『恐怖の心霊写真集』シリーズや女性週刊誌、雑誌、テレビなどを通じて、「心霊写真とはこういうものだ」という霊に関する一種の「常識」が広まっていった過程を研究しています。
〈霊〉は清かに見えねども――「中岡俊哉の心霊写真」という〈常識〉――
飯倉義之/『オカルトの帝国―1970年代の日本を読む―』青弓社
研究概要:國學院大學 K-ReaD
https://k-read2.kokugakuin.ac.jp/profile/ja.649555ec2f4350de.html?mode=pc
考えてみれば、
- 人の背後に白い顔がある
- 身体の一部が消えている
- 知らない人の手のようなものが伸びている
こうした写真を見て、
「これは心霊写真だ」
と判断するためには、あらかじめ「心霊写真とはこういうもの」というイメージを知っている必要があります。
私も子どものころは心霊番組やUFO番組が大好きでした。
当時のテレビや本では、心霊写真や不思議な現象が頻繁に紹介されていました。
私たちは知らないうちに「こういうものが写ったら心霊写真」という見方を覚えてきたのかもしれません。

写真には、もともと不思議なものが写ることがある
もちろん、写真に撮影者が想定していなかったものが写ることはあります。
例えばキヤノンは、強い光がレンズ内部で反射することで、写真が白っぽくなる「フレア」や、本来そこにはない光の像が現れる「ゴースト」が発生することを説明しています。
フレア:写真用語集_キヤノン
https://personal.canon.jp/articles/beginner/glossary/flareゴースト:写真用語集_キヤノン
https://personal.canon.jp/articles/beginner/glossary/ghost
またソニーも、フラッシュ撮影では、レンズの近くにあるホコリや花粉などに光が反射し、ぼんやりとした白い丸として写る場合があると説明しています。
静止画/動画を撮る ― フラッシュ撮影時の白い丸い点について_ソニー
https://www.sony.jp/support/cyber-shot/manual/dsc-w530/jp/contents/11/02/02/02.html
昔の心霊写真で「オーブ」と呼ばれていたようなものの中にも、このような撮影現象で説明できるものはあるでしょう。ただし、撮影上の現象があるからといって、すべての不思議な写真を同じ原因で説明できるわけではありません。
原因が特定できない写真もあるでしょう。
その場合は「原因が分からない」のであって「だから霊である」「だから偽物である」でもありません。
分からないものは、分からない。
その状態もあっていいと思います。
なぜ顔や人影に見えるのか
もう一つ、心霊写真を考えるうえで知っておきたいのが「パレイドリア」です。
雲を見て動物に見えたり、建物の窓が顔に見えたりしたことはないでしょうか。
人間は、実際には顔ではないものからも顔を見つけることがあります。
2020年にNature Communicationsで発表された研究では、物の中に顔を感じる「顔のパレイドリア」を見たとき、人間の脳では非常に早い段階で顔に近い処理が起こることが報告されています。つまり、「顔に見えてしまう」というのは単なる思いつきではなく、人間の視覚の仕組みとも関係しているのです。
Rapid and dynamic processing of face pareidolia in the human brain
Wardle, S. G. et al./Nature Communications, 2020
https://www.nature.com/articles/s41467-020-18325-8
- 暗い場所に二つの点と線が並んでいる
- 木の模様が目や口のように見える
- 服のしわが人の顔のようになる
それを見て、
「人の顔だ!」
と思ってしまうこと自体は、それほど不思議なことではありません。だからといって、見た人が嘘をついているわけでもありません。
本当に、そう見えたのです。
「心霊を信じる人だから見える」とも単純には言えない
心霊や超常現象を信じる人と、曖昧なものから意味を見つける傾向との関係を調べた研究もあります。
2023年のScientific Reportsの研究では、723人を対象に、超常的な信念とノイズの中に存在しないパターンを見つける傾向との関連が調べられました。
Linking paranormal and conspiracy beliefs to illusory pattern perception through signal detection theory
Müller, P. & Hartmann, M./Scientific Reports, 2023
https://www.nature.com/articles/s41598-023-36230-0
一定の関連は確認されていますが、研究者自身も、ほかの要因と比べるとその関連はそれほど大きなものではないとしています。
ですから「心霊を信じている人は思い込みが激しい」と単純に片づける話でもありません。
人間そのものが、曖昧なものに意味を見つける生き物なのです。
「本物の心霊写真」とは何でしょう
ここまで調べていくと、私は改めて疑問を感じます。
本物の心霊写真とは、一体何なのでしょう。
- 加工されていない写真?
- 撮影現象では説明できない写真?
- 霊能者が「霊が写っています」と言った写真?
- 見た人が怖いと感じた写真?
定義が変われば、「本物」の意味も変わってしまいます。
そして、私自身はこれまで「これは危険な写真だ」と感じる心霊写真に出会ったことがありません。
必要以上に怖い物語を付け加えない
これまで、霊能者などが「危険な写真」「強い念が入っている写真」と説明しているものを見ることもありました。しかし、私はそこから、人がこちらを呪っているとか、祟ろうとしているようなものを感じたことがありません。
チャネリングをしても、写真に残された「人の想い」のようなものを感じたこともありません。
これまで私が見てきたものでは、
偶然、顔のように見える。
手のように見える。
光や影が不思議な形になっている。
あるいは、人によって意図的に作られたように感じる。
そのようなものがほとんどです。
一方で私は「現在知られている写真技術ですべて説明できる」と断定するつもりもありません。
何らかの未解明の仕組みによって、本来撮影者が想定していたものとは違う画像になる。
私自身は、まだ分かっていない何らかの働きによって、このような現象が起こる可能性も残しておいてよいと考えています。
ただ「何だか分からないものが写った」ということと「こちらを呪っている霊が写った」ということは大きく違います。分からないものに、必要以上に怖い物語を付け加える必要はないのです。
本物だったらどうなるの?
そして、今回一番考えてみたかったのがここです。
心霊写真を見て、
「これは本物ですか?」
と気になったとします。
では、本物だったら、どうなるのでしょう。
本物だと誰かに言われた瞬間、その写真から急に何かが出てくるのでしょうか。
偽物だと分かった瞬間、それまで感じていた恐怖は消えてしまうのでしょうか。
写真そのものは変わっていません。変化したのは「この写真は危険だ」「これは霊が写っている」という、私たちが写真に与えた意味です。
ここが、今回のテーマを考えるうえで大切なところだと思います。
心霊写真も「人間の創造」の中で大きくなる
以前、残留思念についての記事でも「人間の創造の力」についてお伝えしました。

私は、心霊写真にも同じことが起こると考えています。
最初は、
「何か顔みたいなものが写っている!?」
だったものが、
誰かによって、
「これは亡くなった人の顔だ!」
となる。
さらに別の誰かが、
「怒っているように見える!危険です!」
と言う。
そして、
「この写真を持っていると危険だ!!」
「早くお祓いした方がいい!!」
と話が加わっていく。
誰かが言ったことに、別の誰かが新しい意味を付け加える。そして、その話が人から人へ渡るたびに、雪だるまのように大きくなっていきます。
最初にあったのは、一枚の「よく分からない写真」だったかもしれません。ところが、そこに人間が言葉と意味を重ねていくことで、
「危険な心霊写真」
という物語が作られていきます。私は、これも人間の創造の一つだと考えています。
以前の記事でも、人間が思い、語り、意味を与えることによって、目には見えにくい影響の集合体が作られていくという見方をお伝えしました。
だからこそ、恐怖をどんどん付け加えていく必要はありません。
心霊写真を怖がりすぎなくていい
心霊写真の歴史を調べ、写真の仕組みや人間の知覚について見ていくと、私はやはり「心霊写真を過度に怖がる必要はない」というところにたどり着きます。
でも、これは「心霊写真なんて全部くだらない」という意味ではありません。私はオカルト大好きですから、怪談を聞いてゾクッとするものや、夏になると怖い映画や物語を見たくなります。
写真の隅に何かを見つけて、
「これ、顔じゃない?」
とキャーっと盛り上がる。そのくらいの不思議は、あってもいいと思います。
怪談も心霊写真も、長い間、人間が楽しんできた文化であり、エンターテインメントでもあります。そういうものまで、なくしてしまうのは「もったいないお化け」が出ます。
不思議を楽しめるくらいの余裕を
心霊写真を見たとき、
すぐに、
「本物なのか?」
「危険なのか?」
「お祓いしなければいけないのか?」
と答えを決めるのではなく「これは何だろう?」くらいの距離で眺めてみる。
- 撮影上の現象かもしれない
- パレイドリアかもしれない
- 誰かが作ったものかもしれない
- 今の知識では説明できない何かかもしれない
そのくらいでいいのではないでしょうか。
分からないからこそ、不思議なのです。
そして、不思議なものは、日常生活が壊れてしまうほど恐れるのではなく、楽しめるくらいの距離に置いておく。
私は、そのくらいの余裕があっていいと思っています。
心霊写真の中に何が写っているのか。
その答えを急ぐよりも、
自分がその写真に何を付け加えようとしているのか。
少しだけ、そこに目を向けてみてください。
怖い物語を作ることもできます。
不思議な一枚として楽しむこともできます。
どちらを創造するかは、私たち自身が選ぶことができるのです。






