何でも「足し算」で考える事が可能です
最近になって特にご自分の評価を低くしている方が多いようです。
いわゆる「自己評価が低い」という状態なのですが、この状態を維持し続けても楽しくありませんよね。
この状態から抜け出す方法の1つとして今回は「足し算」を紹介します。
えっ、何を足し算するの?
難しくはありません。
あなたの全てを足し算してしまうのですから。
引き算はネガティブ、足し算はポジティブ
私たちは今手元にある「得ているもの」を取られたくはありません。
この感覚が「物が捨てられない」という状態になったり、「奪われた」「盗まれた」という被害者意識を生んだりします。
この取られるという感覚は、引き算で物事を捉えている状態と見ることが出来ます。
しかし、周囲を見ると全員が同じように「取られた!」とネガティブになっていない方もいます。
実はこの取られたという感覚は見方を変えれば足し算となってしまうので、どっちの思考が多いか少ないかは別としてポジティブに捉えることもできるからです。
「取られた!」を足し算にしてみる
これは頭の体操だと思ってください。
最初は難しく感じても取り組んでいけば慣れるものです。
「取られた」のではなく「与えた」と置き換える
「与える」は子どもの頃に徳を積むとか善い行いとして大人が褒めてくれていたはずです。
だから大抵の人の意識の中には「与える」は足し算となっていてポジティブに働きます。
ただ、与える相手を宇宙や地球や魂などに置き換えている方もいます。
「私は○○を宇宙に与えた(だから取られた訳ではない)」
「私は自分の魂に○○という体験を与えた(だから取られたわけではない)」
これは本音や本心では結局「取られた」と思っている状態なので、心からの「与える」という意識ではなく、泣き寝入りの「与える」になってしまいます。
これだと足し算が微妙な感じになってポジティブな感覚はあまりしないのではないでしょうか。
実際には全てが「学び」です
どの目に見えない存在たちと話しても「この世の全ては学びである」と言います。
どう転んでもこの世の全ては学びである以上「足し算」になってしまうということです。
例えば、先程の「泣き寝入りの「与える」」であっても学びの1つです。
学んだことで、次の自分の選択が変わるかもしれませんし、この体験を他人に共有して人助けをするかもしれません。
決して無駄ではないのです。
自由意志の世界を満喫するには「足し算」
今やっていることを「無駄遣い」と捉えるか「投資」と捉えるかは自分次第です。
全てを「投資」と捉えれば、自分の一挙手一投足が足し算になるように考えなければなりません。
急にそんなことはできません。急ぐ必要はありません。
少しずつ「足し算」を増やしていきましょう。
それでも引き算ばかりの人生だったのなら、かなり満喫できると思います。
真っ暗闇ならロウソクの炎でさえ眩しく明るくみえるでしょう。
その明るさに慣れたら、さらに次の明るさを試せば良いだけです。