【期待と誤解の境界線】相手の手を見る | スピリチュアル

期待も度が過ぎると誤解を生むのです

アセンデッドマスター・ブッダからのメッセージ

アセンデッドマスターのブッダ

人は人生を楽しむために生きています。

良い飯を食し、良い酒を飲み、良い友と過ごすために生きているということです。

 

これは自分で創り出すものであって、他人から与えられるものではありません。

もし、あなたが雛鳥の様に親鳥からの餌の供給をただ巣の中で口を開けて待っているなら、それは期待のし過ぎというものです。

 

期待のし過ぎは、色々なものの動きを鈍くします。

余分な力が入り、落ち着いて真っ直ぐに挿せば良いものを上下左右のブレを生じさせてしまうのです。

そして、この動きが鈍くなった状態を自分で招いていることと知らない人がいます。

そのような人たちが誤解を生み出すのです。

 

自分の期待とは違う状況が目の前に現れたとき、それを提供している他人に責任があると誤解をします。

大いなる責任転嫁がそこにあるのです。

もし、相手に問題があると思うなら、相手の手をよくよく眺めるのです。

その手はあなたの期待に沿えるように努力を惜しまぬ手であると気づくでしょう。

決して手を抜いてなどいないのです。

 

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人は人生を楽しむために生きていますから、期待をするのは当然です。

他人に何かを発注することは少なからず期待を生むのです。

しかし、その期待はいくらでもして良いわけではありません。

もし、自分の思い通りにならない現実が目の前にあるなら、期待を見直すことが必要であるという暗示なのです。