なぜ裏返す必要があるのでしょう?
アセンデッドマスター・ブッダからのメッセージ
他人から自分の想定ではない答えで返されることがあります。
これをある人は「愛情の裏返し」として処理しています。
それが無理のない理解であれば良いですが、苦い薬を吐かずに飲むような無理をしているようなら改める時期が来ています。
愛情を裏返す必要はありません。
なぜ愛情という尊い感情を裏返して隠して与えなければならないのでしょう?
自分がされて嬉しいと感じることをすれば良いだけのこと。
もしそれが回りくどい裏返しを好むなら、そのような全てがあべこべの人生でも良いでしょう。
そうではないと思うなら、今から自分がされて嬉しいと感じることを人にするのです。
あなたが他人にすれば、他人もあなたにそのように接するようになるでしょう。
実に裏のない仕組みが既に目の前にあるのです。
裏返しは照れ隠しと言う人がいます。
しかし、それは方便です。
自分がされて嬉しいと感じる行為を他人にできないと言う方便なのです。
全てを一度にする必要はありません。
ただ会釈をするだけでも、無視をしていない表現となって「自分がされて嬉しい行為」となります。
どんな照れていたとしても、何らかの表現を持って相手に伝えるべきなのです。
それが裏返しを手放すきっかけとなるでしょう。