自分磨きは自分で考えて行うこと
アセンデッドマスター・ブッダからのメッセージ
人間は未熟のまま生まれ、熟すために育ち、熟したときに死にます。
自分自身を熟すこと、磨き続けることが人の目的として存在しているのです。
この目的はどの人間でも同じで、この大きな目的の中に自分自身で決めてきた細かな目的を達成するように生きています。
世の中に無駄なものなどはありません。
全て自分の糧となり、自分を磨くための粉となるのです。
もし、自分の心のどこかに「自分の糧とならない」「自分を磨く粉ではない」と思う部分があることに気づいたとき、糧をどのように取り入れるべきか、粉でどのように磨くか、を考えなければなりません。
自分の目の前を否定し続けていても良いですが、肯定して気づくことで極意を会得できると知るのです。
自分を磨く方法を他人に聞いても仕方がありません。
その磨き方は他人の磨き方であって自分の磨き方ではないのです。
お茶の入れ方には作法というものがありますが、これがあなたの作法ではない場合があるということ。
渋く淹れるのが好きな人もいれば、甘く淹れるのが好きな人もいますから、どちらの作法も自ら体験し、自分を磨く粉として両方共利用するのです。
そうすれば自分の好みも知ることができます。
そうすれば自分を成熟させることができます。
人はこのために生きているのですから、これを感じたとき、あなたは喜びを感じることでしょう。