片方の言い分で満足してはいけません
アセンデッドマスター・キリストからのメッセージ
何かことが起こったとき、あなたはどのような対応をしているでしょう?
この世界は必ず何かが作用して起こっています。
火のないところには煙は立ちません。
そして、何もないところに火はつきません。
火がつく場所には必ずその原因があるということです。
人間同士の争いも同様のことが言えます。
「ある人が他の人を怒っている」
という現実が引き起こされているのは何らかの原因があるということになります。
人はその原因を探します。
犯人探し、誰が責任を追うべきかを探すのです。
これは自身の保身というものもありますが、単純な正義感というものから揺り動かされている人もいます。
自身の保身の場合は至極単純に自分の身に重い罪がかからないように創意工夫をしようとします。
この場合、自身の視点だけの片方の主張を強く持っている方が大半となるでしょう。
その方の言い分をよく聴いてみてください。
相手のことを頭ごなしに否定する言葉を投げかけ続けていることでしょう。
これが相手を悪として、自身を善とするモノの捉え方の典型です。
そして、もう一つ単純な正義感によるものがあります。
これは当事者ならずとも味わうことができる感覚で、自身では体験していないにも関わらず当事者のように振る舞ってしまう意識状態を生み出します。
もし、他人が当事者のような正義感を振りかざすならば、全ての当事者の言い分を聴かなければなりません。
ある2人の間で起こっているいざこざがあるなら、両方の言い分を聴かなければなりません。
ある組織の間で起こっているならば、両組織の言い分を聴き、ある国の間で起こっているならば、両国の言い分を聴かなければならないのです。
他人のいざこざに加担する正義は、両方の言い分を聴いて初めて正義となります。
片方の言い分で良し悪しを決めているならば、それは正義ではなく単純な感情に飲まれた行動なのです。