自分を認めるための行為
アセンデッドマスター・空海からのメッセージ
どんな物事でも、結局は「自分が自分を認める行為」なのです。
他人にどのように見られるか、言われるか、それらが気になるのは、先にある「自分らしさ」という自分の形であって、相手の形ではないのです。
もし、自分を「痛めつけている」と感じているのなら、直ぐにそれを止めることが「自分らしさ」に繋がります。
他人に「呼吸を止めろ」と言われてそれを実行したとしても、最終的には息苦しくて自ら呼吸を開始するでしょう。
これが「自分らしさ」なのです。
呼吸を止める例えに戻ると、どの段階で「自分らしさ」を出すかによって痛みが変わってくることに気づくでしょう。
ある人は、他人に言われても呼吸を止めることを実行しないかもしれません。
ある人は、気を失う直前まで粘って初めて呼吸し始めるかもしれません。
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満員御礼!ありがとうございました!
人が感じる痛みの度合いは十人十色でありますが、痛みは感じ続けない方が「自分らしい生き方」であるということが良くわかるはずです。
自分は自分を認めるために生きて、死にます。
これは人以外の動植物も同じです。
皆、この世界に生きていることを自分で認めるためにいるのです。
その様な意識に気づくと、目の前にあるものたちが愛おしく感じるでしょう。
それが本来の「自分らしさ」であり、愛の心なのです。