「子煩悩」は慈しみによって輝く起点です
アセンデッドマスター・マグダラのマリアからのメッセージ
愛の表現の1つとして「子煩悩」というものがあります。
これは、自身を親としたときに自身の子のように思える関係であり、子に対して深い愛情を注ぐことを言うのです。
時としてこの「深い愛情」が親の独りよがりとなってしまうことがあります。
子はそれを望んではなく、親が差し出すものを親のために受け取っているという状態もあるのです。
これは、子の「深い愛情」が親へ注がれている状態ですから、子煩悩とは言えるものではないのです。
子煩悩を体験したいのなら、
子煩悩でありたいと思うなら、
「慈しみ」を身につけなさい。
子煩悩は起点に過ぎません。
まだ、愛の矛先が子に向けられているかどうかが定まっていないということです。
しっかりと子に注がれるようにしたいと思うなら、子をよく観察するのです。
子が助けを求めているかどうかを見極めるのです。
親であるからこそ、子に対して見極めができます。
子は普段からの親の教えを参考にしながら行動しています。
全てが間違っていたり、全てが決まりから逸脱したりするようなことではないのです。
よく観察をするのです。
子が必要だと表現したとき、手を差し伸べるのです。
子が必要ではないと表現したとき、成長を称えるのです。
これが「慈しみ」であり、子煩悩である人の境地なのです。