アセンションは「待つ」ではなく「起こす」もの
アセンデッドマスター・ソロモンからのメッセージ
「アセンション」という言葉に期待をしてはなりません。
アセンションは避難所ではないからです。
牢に囚われた男が二人いました。
二人共に、自身のしたことを反省し、償いと更生の日々を過ごしています。
ある日、一人の男が看守に問いました。
「私は毎日反省し、自分の犯した罪を償い続けています。いつになったらこの牢から出られるのでしょうか?」
看守は答えます。
「お前が毎日反省し、更生していることを私は知っている。だから安心しなさい。あと二年もすればこの牢から出ることができるだろう。」
看守からこの言葉を聞いた男は落胆してその場に倒れてしまいました。
ある日、もう一人の男が同じように看守に問いました。
「私は毎日反省し、自分の犯した罪を償い続けています。いつになったらこの牢から出られるのでしょうか?」
看守は答えます。
「お前が毎日反省し、更生していることを私は知っている。だから安心しなさい。あと二年もすればこの牢から出ることができるだろう。」
看守からこの言葉を聞いた男の表情は喜びに満ち、看守に感謝の言葉を送りました。
同じ看守の言葉を聞いたにもかかわらず、二人の囚人の態度は全く違うものになっていますが、なぜかわかりますか?
その答えは「期待の方向性」にあるのです。
一人目の男は自分自身のし続けた償いは、「直ちに牢から出られる」くらいの価値があると大きな期待をしたのです。もちろん期待をすることは悪いことではなく、行動するための燃料となるものですからあった方が良いのです。
ただ、自分が行っている償いが周囲にどのような効果をもたらすものかを把握せず、自身の一方的な視点で期待を高めてしまったことが問題なのです。
二人目の男の期待は、償いと更生を十分にしているという自身の視点と、自分がした罪によって不利益となった人たちの視点と併せ持っていたのです。だから、「あと二年」と聞いて「あと二年で許してもらえるんだ!」と喜んだのです。
アセンションも、自分の一方的な視点で期待だけをムクムクと膨らませていても現実にはならず、最後は一人目の男のように落胆することになるでしょう。
「アセンションが起こる理由」をよく考えてください。何度も言いますが、アセンションは今の世界が嫌だと感じている人たちが向かう場所ではありません。
アセンションを色々な存在の目線で見ることです。
自分だけでなく、家族、友人、他人、人種や宗教の違う人、動物、植物、自然、地球、宇宙などの視点からアセンション」についてよく考えてください。
そうすれば、アセンションは「起こす」ものであるということが分かるでしょう。